■兜町事件簿(7巻)■

---目次---
  • ギャンぶる大帝の占い師による風説の流布事件(前編)
  • ギャンぶる大帝の占い師による風説の流布事件(後編)
  • コスモポリタン、池田保次のタクマ買占め(前編)
  • コスモポリタン、池田保次のタクマ買占め(後編)
  • 許永中と石原産業手形詐欺事件(前編)
  • このHPに載せて欲しい株関係の事件を募集しております。

    (2002/1/5)(修正2002/4/4)
    ギャンぶる大帝の占い師による
    風説の流布事件(前編)

    競馬などのギャンブル関係の雑誌、「ギャンぶる大帝」は、1994年6月に創刊されます。 中山雲水ことS氏は、創刊号から株価情報を担当して、「九星周期法」という占いによる銘柄の推奨を行っていました。

    さて、10月号(発売は9月19日)で、中山氏は、名古屋市場上場の熊沢製油産業(現在は、味の素の完全子会社となり非上場)を推奨します。
    この銘柄は、今までのものとまったく違っていました。

    熊沢製油産業は、発行済み株数が480万株しかない上、53.2%は、味の素が保有しています。
    1日平均1000株程度の流動性の極端に乏しい銘柄だったのです。

    雑誌を読んだ何人かが、株を買いだしたから大変です。 400円台だった株価は、605円まで上昇してしまいます。 事前にこの株を購入していた中山雲水も、高値で売却して意外な利益を得ます。

    これは、いける。

    11月号は、「短期集中大化け銘柄」と銘打って、立ち読みできないように袋とじにします。

    10月号の実績で注目されていますので、もう少し流動性が大きい銘柄が良さそうです。

    そして、選んだのは、東証第二部「ボーソー油脂」、発行済み株数1280万株。
    一日の平均出来高は5000〜6000株程度の品薄株です。

    袋とじの中身は「香港の投資家がボーソー油脂を買い占めている」というデタラメ記事でした。
    中山雲水は、事前に大胆に株を買ったと思われます。

    10月19日は、ギャンぶる大帝11月号の発売日。

    この日のボーソー油脂は、907000株の出来高を集めて、暴騰します。
    終値は、75円高の700円でした。

    発売日以降も5日間連騰、10月24日の終値は、870円!

    雑誌の企画としては、大成功です。
    「ギャンぶる大帝」の「短期集中大化け銘柄」は、必ず暴騰する。
    投資家の間で、こんな噂が飛び交うようになります。

    中山氏も、多額の利益を上げます。
    雑誌も売れて出版社も喜ぶし、発売日に買った読者も利益を上げました。
    自分が書くことにより、株価が上がるのですから、こんな簡単な金儲けは、ありません。

    ◆◆さて、12月号の締め切りが近づいてきます。◆◆

    ◆◆ 次は、なんで儲けようか?◆◆
    ◆◆中山氏は、四季報を読み漁ります。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日発表します。◆◆

    ボーソー油脂の値動き

    日付 始値 高値 安値 終値 出来高
    1994年10月4日 445 460 445 460 10,000
    1994年10月5日 455 464 455 464 7,000
    1994年10月6日 460 464 460 464 2,000
    1994年10月7日 461 462 455 455 5,000
    1994年10月11日 450 450 450 450 1,000
    1994年10月12日 455 465 455 465 6,000
    1994年10月13日 475 475 475 475 3,000
    1994年10月14日 470 475 470 470 11,000
    1994年10月17日 476 481 476 481 2,000
    1994年10月18日(事前買い) 530 538 520 525 59,000
    1994年10月19日 (発売日) 625 625 625 625 221,000
    1994年10月20日 725 725 700 700 907,000
    1994年10月21日 690 800 690 797 856,000
    1994年10月24日 790 888 790 870 591,000
    1994年10月25日 760 760 760 760 124,000
    1994年10月26日 750 756 711 750 473,000
    1994年10月27日 752 755 740 740 26,000
    1994年10月28日 670 688 640 663 174,000
    1994年10月31日 663 665 622 661 108,000
    1994年11月1日 671 750 670 712 233,000
    1994年11月2日 737 740 681 681 125,000
    1994年11月4日 662 699 662 665 69,000
    1994年11月7日 672 672 626 640 55,000
    1994年11月8日 628 650 628 630 41,000
    1994年11月9日 630 630 588 588 64,000
    1994年11月10日 601 647 600 618 60,000
    1994年11月11日 614 614 575 586 38,000

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    (2002/1/6)(修正2002/4/4)
    ギャンぶる大帝の占い師による
    風説の流布事件(後編)

    発行済み株式1200万株の過小資本で、誰もが名前を知っている親しみの持てる銘柄。

    森下仁丹(東京二部)に中山雲水は、白羽の矢を立てます。

    同社の特定株主は、65%に達しています。1日の平均出来高は、5000〜6000株に過ぎません。

    「香港の大物資産家が今、口ずさんで株を買いまくっている」
    「医療的食品が猛烈に売れている」
    というデタラメ記事を添えて、中山は絶対の自信をもって12月号で推奨したのです。

    11月18日(金曜日)早くも、インサイダーの買いが集中します。 株価は、1070円のストップ高。売り物が少なくて、比例配分もありませんでした。

    さて、11月19日(土曜日)、ギャンぶる大帝の発売日。
    本屋では、朝のうちに売れ切れ。

    週明けの21日の東京市場が開かれます。
    森下仁丹に買いが集中。ストップ高、1270円の特別買い気配となります。
    今日は、売り物が多少出て、比例配分になるでしょう。

    「明日も、ストップ高は、間違いなし。買えた者は、幸せです。」という考えが支配的でした。
    比例配分狙いで、全現金を投入する人もいました。
    170万株の特別買い気配・・・・売りは2〜3万株でしょうか?

    ・・・・午後2時50分・・・

    市場終了10分前に、大異変が起こります。

    何者かが170万株の売り注文を一瞬の内に出したのです。
    1270円で、寄り付いた!出来高170万株!

    15.7%のシェアを持つ筆頭株主・カネイチが全株を売却したのです。

    ・・・さて、翌日・・・・

    熱気は、消えます。代わりに不安と絶望が広がります。
    昨日の買い手は、一転、株を売ろうと焦ります。

    ストップ安、1050円の特別売り気配。買い手が少なく、比例配分はありませんでした。
    勤労感謝の日の次の24日。株価は、ストップ安の850円となります。

    高値づかみの個人投資家は、投資金額の33%を失います。
    事前に買った中山は、売り抜けに成功したでしょうか?。
    そして、カネイチは、市場価格より300円高い価格で売り抜けに成功して、約5億円のプレミアムを得ました。

    ・・・・・・・・・・・・

    1997年1月17日、株価をつり上げようと虚偽の記事を雑誌に掲載していたとして、証券取引等監視委員会は、証券取引法違反(風説の流布)の罪で、占い師の中山雲水(本名S)を東京地検に告発します。

    ◆◆2月4日、東京簡裁 は、略式命令を中山に出します。◆◆
    ◆◆ 罰金は、たったの50万円。◆◆
    ◆◆一方、中山の風説の流布を信じた投資家の被害額は、合計6億9千万円に上ります。◆◆

    森下仁丹の値動き

    日付 始値 高値 安値 終値 出来高
    1994年11月1日 940 940 940 940 2,000
    1994年11月2日 941 941 910 910 5,000
    1994年11月7日 940 940 940 940 11,000
    1994年11月8日 940 950 940 950 14,000
    1994年11月9日 940 940 940 940 1,000
    1994年11月10日 910 910 900 900 4,000
    1994年11月17日(事前買い) 920 950 920 950 16,000
    1994年11月18日 1,070 特買い
    1994年11月21日(発売日直後) 1,270 1,270 1,250 1,250 1,721,000
    1994年11月22日 1050 特売り
    1994年11月24日 850 850 850 850 83,000
    1994年11月25日 830 911 830 875 430,000
    1994年11月28日 895 895 840 840 85,000
    1994年11月29日 830 850 799 799 97,000
    1994年11月30日 800 825 800 815 45,000

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    (2002/1/14)
    コスモポリタン、池田保次のタクマ買占め
    (前編)

    池田保次は、元山口組系暴力団の組長です。 1980年代、企業舎弟として地上げ屋で成功した後、コスモポリタンという企業で、タクマ、雅叙園、日本ドリーム観光などの株を買い占め、仕手集団として、一世を風靡します。

    1987年5月、雅叙園観光の過半数の株を支配して、同社会長に就任します。

    コスモポリタンが最も注目されたのは、タクマの買占めです。タクマは、ボイラーを基盤にゴミ焼却施設などを造っている技術力の高い会社です。

    1987年の1月、池田は、大阪の信用組合の理事長の紹介で、タクマを800万株、手に入れました。 その後、下値をこつこつ拾うのではなく、短期間に強引に買占めを進めたようです。

    1987年1月に413円の安値だった株価は、5月には2,220円に達しています。
    4ヶ月で、5.4倍の値上がり率です。

    コスモポリタンは、役員派遣を求めます。
    タクマとしては、企業舎弟から人を受け入れるわけにはいきません。

    経営側との徹底抗戦になります。
    株を買い取る意思もなさそうです。

    こうなったら、経営権を奪ってタクマを手に入れるしか道はありません。

    経営支配している雅叙園の手形を濫発します。
    タクマの株を担保に、証券金融会社から借ります。関西の闇の資金も、高利で借りていました。

    タクマの発行済株数は、6,446万株です。
    9月には、コスモポリタン・グループは、そのうちの3,200万株を手に入れます。

    他の委任状分を含めると、過半数を超えます。
    後は臨時株主総会を開き、子分を役員に据えればよいのです。

    莫大な金利の支払いは、池田を苦しめました。
    しかし、あと一息です。

    経営権さえ握れば、タクマから資金を引き出せます。
    大阪地裁は、臨時株主総会の開催を許可します。

    ◆◆会社側が、見事なタイミングで切り札を放ちます。◆◆
    ◆◆ この続きは、明日または明後日発表します。◆◆

    (参考文献)「仕手戦のウラの裏がわかる本」 鈴木 晃著 ぴぃぷる社

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    (2002/1/16)
    コスモポリタン、池田保次のタクマ買占め
    (後編)

    買占めに対して、会社側が対抗すると、浮動株が少なくなり、株主数が基準値を割り込み、やがて上場廃止に追い込まれます。
    タクマは、野村証券、第一勧銀などの、銀行と相談します。

    そして、乗っ取り防止の切り札、1600万株の第三者割り当て増資を行ないます。
    銀行、生保の他、株主数対策として、関係する個人にも割り当てられました。

    持株比率は、41.7%まで突き落とされます。価格は、僅か680円、法廷で争えば、問題のある増資です。
    しかし、高利の借金を重ね、やっとの思いで過半数を制したコスモポリタンには、決定的なダメージでした。

    1987年10月20日(火)朝6時、池田は、テレビをつけます。

    そこで、信じられない光景を、目の当たりにします。
    19日のアメリカ市場の終了のベルが鳴ります。508ドル安!
    なんとたった一日で、22.6%の値下がりです(ブラックマンデー)。

    9時、東京市場が、開きます。

    証券金融会社が、担保に取っていたタクマ株を、慌てて証券会社に持ち込み、投げ売りを急ぎます。
    この日多くの仕手筋が崩壊。コスモポリタン関連株も全銘柄暴落。池田の野望は、消滅します。

    万事休す。

    それからの池田は、1日1億円を越える金利を支払えなくなり、闇の世界から追われる身となります。

    1988年8月12日の新大阪駅、東京行きの新幹線のホーム。
    運転手が、池田保次を見送ります。

    そして、それ以後、彼を見かけた者はいません。
    金を返せずに殺された?

    ・・・・それから2ヵ月後・・・・・・

    兜町界隈の証券金融会社に、何人かの不審な男が、かわるがわるタクマの株を持ち込んだそうです。

    いくらなら、買ってくれるかい?
    証券金融会社は、足元をみて買い叩きます。

    ◆◆今日は20万株。明日は10万株・・・・◆◆
    ◆◆ いったい誰が売ったのか?◆◆
    ◆◆ 永遠の謎です。◆◆

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    (2002/2/19)
    許永中と石原産業手形詐欺事件
    (前編)

    そのころ石原産業は、骨肉の争いの後遺症に悩んでいました。権力闘争の末、石橋浩会長は、異母兄弟の石橋克規をグループ企業の若槻建設から追放することに成功します。

    しかし、克規は、石橋産業の株を24万2650株(他の反対派をあわせると約30%)も保有していました。浩は、わずか12万株しか保有していません。 このままでは、何時クーデターを起こされ寝首を掻かれるか分かりません。

    許永中は、この株を買い戻せるという話で、最初に石橋産業に近づいてきたのです。
    喉から手が出るほど欲しい株です。

    許永中は、買戻しの条件として、自らが保有する新井組の株を買い取るよう条件を出します。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・

    そして、許永中と石橋産業は、固い絆で団結しようと誓います。

    1996年4月、許永中は、スーツケース三個に入った10億円の現金を石橋産業に差出します。
    この裏金で、許永中の指示に従い政治家に献金して、受注獲得に役立てて欲しいというわけです。
    この効果は、抜群でした。今まで、疑っていた幹部も許永中を信頼するようになります。

    5月、中尾栄一建設相の就任祝いの席に、石橋会長は出席します。
    許永中の取り計らいでした。この頃から、延べ8000万円にのぼる中尾氏への政治献金が始まります。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    許永中は、キョート・ファイナンスに対して470億円の借金があり、1120万株の新井組株が担保として提供されていました。

    石橋産業の関連会社とキョート・ファイナンスとの間で1996年9月、新井組株985万株について約179億円で売却する契約が締結されます。 一株当たり1817円でした。

    石橋産業は、許永中に180億円の手形を差し出します。契約は形式で、手形は絶対に回さないという約束でした。

    許永中は、フィクサーなどではなく、天才的な、単なる詐欺師だそうです。
    もちろん、肝心の新井組の株は、なかなか渡してもらえません。

    株価も買値以上になるように維持するとの約束でした。 許永中と石橋産業による、新井組の仕手相場が始まります。

    この頃、若槻建設(石橋産業の関連会社)と新井組との合併の噂が兜町で広まります。
    新井組の社長が否定しても、株価は値下がりしません。

    ◆◆1996年12月、新井組の株価は2000円を超えます。◆◆
    ◆◆ そして、詐欺師が牙をむく日がやってきます。◆◆

    (参考) 闇の帝王(許永中)  宝島社

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