
| ギャンぶる大帝の占い師による 風説の流布事件(前編) |
競馬などのギャンブル関係の雑誌、「ギャンぶる大帝」は、1994年6月に創刊されます。 中山雲水ことS氏は、創刊号から株価情報を担当して、「九星周期法」という占いによる銘柄の推奨を行っていました。
さて、10月号(発売は9月19日)で、中山氏は、名古屋市場上場の熊沢製油産業(現在は、味の素の完全子会社となり非上場)を推奨します。
この銘柄は、今までのものとまったく違っていました。
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熊沢製油産業は、発行済み株数が480万株しかない上、53.2%は、味の素が保有しています。 1日平均1000株程度の流動性の極端に乏しい銘柄だったのです。 |
雑誌を読んだ何人かが、株を買いだしたから大変です。 400円台だった株価は、605円まで上昇してしまいます。 事前にこの株を購入していた中山雲水も、高値で売却して意外な利益を得ます。
これは、いける。
11月号は、「短期集中大化け銘柄」と銘打って、立ち読みできないように袋とじにします。
10月号の実績で注目されていますので、もう少し流動性が大きい銘柄が良さそうです。
そして、選んだのは、東証第二部「ボーソー油脂」、発行済み株数1280万株。
一日の平均出来高は5000〜6000株程度の品薄株です。
袋とじの中身は「香港の投資家がボーソー油脂を買い占めている」というデタラメ記事でした。
中山雲水は、事前に大胆に株を買ったと思われます。
10月19日は、ギャンぶる大帝11月号の発売日。
この日のボーソー油脂は、907000株の出来高を集めて、暴騰します。
終値は、75円高の700円でした。
発売日以降も5日間連騰、10月24日の終値は、870円!
雑誌の企画としては、大成功です。
「ギャンぶる大帝」の「短期集中大化け銘柄」は、必ず暴騰する。
投資家の間で、こんな噂が飛び交うようになります。
中山氏も、多額の利益を上げます。
雑誌も売れて出版社も喜ぶし、発売日に買った読者も利益を上げました。
自分が書くことにより、株価が上がるのですから、こんな簡単な金儲けは、ありません。
◆◆さて、12月号の締め切りが近づいてきます。◆◆
◆◆
次は、なんで儲けようか?◆◆
◆◆中山氏は、四季報を読み漁ります。◆◆
◆◆
この続きは、明日発表します。◆◆
ボーソー油脂の値動き
| 日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1994年10月4日 | 445 | 460 | 445 | 460 | 10,000 |
| 1994年10月5日 | 455 | 464 | 455 | 464 | 7,000 |
| 1994年10月6日 | 460 | 464 | 460 | 464 | 2,000 |
| 1994年10月7日 | 461 | 462 | 455 | 455 | 5,000 |
| 1994年10月11日 | 450 | 450 | 450 | 450 | 1,000 |
| 1994年10月12日 | 455 | 465 | 455 | 465 | 6,000 |
| 1994年10月13日 | 475 | 475 | 475 | 475 | 3,000 |
| 1994年10月14日 | 470 | 475 | 470 | 470 | 11,000 |
| 1994年10月17日 | 476 | 481 | 476 | 481 | 2,000 |
| 1994年10月18日(事前買い) | 530 | 538 | 520 | 525 | 59,000 |
| 1994年10月19日 (発売日) | 625 | 625 | 625 | 625 | 221,000 |
| 1994年10月20日 | 725 | 725 | 700 | 700 | 907,000 |
| 1994年10月21日 | 690 | 800 | 690 | 797 | 856,000 |
| 1994年10月24日 | 790 | 888 | 790 | 870 | 591,000 |
| 1994年10月25日 | 760 | 760 | 760 | 760 | 124,000 |
| 1994年10月26日 | 750 | 756 | 711 | 750 | 473,000 |
| 1994年10月27日 | 752 | 755 | 740 | 740 | 26,000 |
| 1994年10月28日 | 670 | 688 | 640 | 663 | 174,000 |
| 1994年10月31日 | 663 | 665 | 622 | 661 | 108,000 |
| 1994年11月1日 | 671 | 750 | 670 | 712 | 233,000 |
| 1994年11月2日 | 737 | 740 | 681 | 681 | 125,000 |
| 1994年11月4日 | 662 | 699 | 662 | 665 | 69,000 |
| 1994年11月7日 | 672 | 672 | 626 | 640 | 55,000 |
| 1994年11月8日 | 628 | 650 | 628 | 630 | 41,000 |
| 1994年11月9日 | 630 | 630 | 588 | 588 | 64,000 |
| 1994年11月10日 | 601 | 647 | 600 | 618 | 60,000 |
| 1994年11月11日 | 614 | 614 | 575 | 586 | 38,000 |
| ギャンぶる大帝の占い師による 風説の流布事件(後編) |
発行済み株式1200万株の過小資本で、誰もが名前を知っている親しみの持てる銘柄。
森下仁丹(東京二部)に中山雲水は、白羽の矢を立てます。
同社の特定株主は、65%に達しています。1日の平均出来高は、5000〜6000株に過ぎません。
「香港の大物資産家が今、口ずさんで株を買いまくっている」
「医療的食品が猛烈に売れている」
というデタラメ記事を添えて、中山は絶対の自信をもって12月号で推奨したのです。
11月18日(金曜日)早くも、インサイダーの買いが集中します。 株価は、1070円のストップ高。売り物が少なくて、比例配分もありませんでした。
さて、11月19日(土曜日)、ギャンぶる大帝の発売日。
本屋では、朝のうちに売れ切れ。
週明けの21日の東京市場が開かれます。
森下仁丹に買いが集中。ストップ高、1270円の特別買い気配となります。
今日は、売り物が多少出て、比例配分になるでしょう。
「明日も、ストップ高は、間違いなし。買えた者は、幸せです。」という考えが支配的でした。
比例配分狙いで、全現金を投入する人もいました。
170万株の特別買い気配・・・・売りは2〜3万株でしょうか?
・・・・午後2時50分・・・
市場終了10分前に、大異変が起こります。
何者かが170万株の売り注文を一瞬の内に出したのです。
1270円で、寄り付いた!出来高170万株!
| 15.7%のシェアを持つ筆頭株主・カネイチが全株を売却したのです。 |
・・・さて、翌日・・・・
熱気は、消えます。代わりに不安と絶望が広がります。
昨日の買い手は、一転、株を売ろうと焦ります。
ストップ安、1050円の特別売り気配。買い手が少なく、比例配分はありませんでした。
勤労感謝の日の次の24日。株価は、ストップ安の850円となります。
高値づかみの個人投資家は、投資金額の33%を失います。
事前に買った中山は、売り抜けに成功したでしょうか?。
そして、カネイチは、市場価格より300円高い価格で売り抜けに成功して、約5億円のプレミアムを得ました。
・・・・・・・・・・・・
1997年1月17日、株価をつり上げようと虚偽の記事を雑誌に掲載していたとして、証券取引等監視委員会は、証券取引法違反(風説の流布)の罪で、占い師の中山雲水(本名S)を東京地検に告発します。
◆◆2月4日、東京簡裁 は、略式命令を中山に出します。◆◆
◆◆
罰金は、たったの50万円。◆◆
◆◆一方、中山の風説の流布を信じた投資家の被害額は、合計6億9千万円に上ります。◆◆
森下仁丹の値動き
| 日付 | 始値 | 高値 | 安値 | 終値 | 出来高 | 1994年11月1日 | 940 | 940 | 940 | 940 | 2,000 | 1994年11月2日 | 941 | 941 | 910 | 910 | 5,000 | 1994年11月7日 | 940 | 940 | 940 | 940 | 11,000 | 1994年11月8日 | 940 | 950 | 940 | 950 | 14,000 | 1994年11月9日 | 940 | 940 | 940 | 940 | 1,000 | 1994年11月10日 | 910 | 910 | 900 | 900 | 4,000 | 1994年11月17日(事前買い) | 920 | 950 | 920 | 950 | 16,000 | 1994年11月18日 | 1,070 | 特買い | 1994年11月21日(発売日直後) | 1,270 | 1,270 | 1,250 | 1,250 | 1,721,000 | 1994年11月22日 | 1050 | 特売り | 1994年11月24日 | 850 | 850 | 850 | 850 | 83,000 | 1994年11月25日 | 830 | 911 | 830 | 875 | 430,000 | 1994年11月28日 | 895 | 895 | 840 | 840 | 85,000 | 1994年11月29日 | 830 | 850 | 799 | 799 | 97,000 | 1994年11月30日 | 800 | 825 | 800 | 815 | 45,000 |
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| コスモポリタン、池田保次のタクマ買占め (前編) |
池田保次は、元山口組系暴力団の組長です。 1980年代、企業舎弟として地上げ屋で成功した後、コスモポリタンという企業で、タクマ、雅叙園、日本ドリーム観光などの株を買い占め、仕手集団として、一世を風靡します。
1987年5月、雅叙園観光の過半数の株を支配して、同社会長に就任します。
コスモポリタンが最も注目されたのは、タクマの買占めです。タクマは、ボイラーを基盤にゴミ焼却施設などを造っている技術力の高い会社です。
1987年の1月、池田は、大阪の信用組合の理事長の紹介で、タクマを800万株、手に入れました。 その後、下値をこつこつ拾うのではなく、短期間に強引に買占めを進めたようです。
1987年1月に413円の安値だった株価は、5月には2,220円に達しています。
4ヶ月で、5.4倍の値上がり率です。
コスモポリタンは、役員派遣を求めます。
タクマとしては、企業舎弟から人を受け入れるわけにはいきません。
経営側との徹底抗戦になります。
株を買い取る意思もなさそうです。
こうなったら、経営権を奪ってタクマを手に入れるしか道はありません。
経営支配している雅叙園の手形を濫発します。
タクマの株を担保に、証券金融会社から借ります。関西の闇の資金も、高利で借りていました。
タクマの発行済株数は、6,446万株です。
9月には、コスモポリタン・グループは、そのうちの3,200万株を手に入れます。
他の委任状分を含めると、過半数を超えます。
後は臨時株主総会を開き、子分を役員に据えればよいのです。
莫大な金利の支払いは、池田を苦しめました。
しかし、あと一息です。
経営権さえ握れば、タクマから資金を引き出せます。
大阪地裁は、臨時株主総会の開催を許可します。
◆◆会社側が、見事なタイミングで切り札を放ちます。◆◆
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この続きは、明日または明後日発表します。◆◆
(参考文献)「仕手戦のウラの裏がわかる本」 鈴木 晃著 ぴぃぷる社
| コスモポリタン、池田保次のタクマ買占め (後編) |
買占めに対して、会社側が対抗すると、浮動株が少なくなり、株主数が基準値を割り込み、やがて上場廃止に追い込まれます。
タクマは、野村証券、第一勧銀などの、銀行と相談します。
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そして、乗っ取り防止の切り札、1600万株の第三者割り当て増資を行ないます。 銀行、生保の他、株主数対策として、関係する個人にも割り当てられました。 |
持株比率は、41.7%まで突き落とされます。価格は、僅か680円、法廷で争えば、問題のある増資です。
しかし、高利の借金を重ね、やっとの思いで過半数を制したコスモポリタンには、決定的なダメージでした。
1987年10月20日(火)朝6時、池田は、テレビをつけます。
そこで、信じられない光景を、目の当たりにします。
19日のアメリカ市場の終了のベルが鳴ります。508ドル安!
なんとたった一日で、22.6%の値下がりです(ブラックマンデー)。
9時、東京市場が、開きます。
証券金融会社が、担保に取っていたタクマ株を、慌てて証券会社に持ち込み、投げ売りを急ぎます。
この日多くの仕手筋が崩壊。コスモポリタン関連株も全銘柄暴落。池田の野望は、消滅します。
万事休す。
それからの池田は、1日1億円を越える金利を支払えなくなり、闇の世界から追われる身となります。
1988年8月12日の新大阪駅、東京行きの新幹線のホーム。
運転手が、池田保次を見送ります。
そして、それ以後、彼を見かけた者はいません。
金を返せずに殺された?
・・・・それから2ヵ月後・・・・・・
兜町界隈の証券金融会社に、何人かの不審な男が、かわるがわるタクマの株を持ち込んだそうです。
いくらなら、買ってくれるかい?
証券金融会社は、足元をみて買い叩きます。
◆◆今日は20万株。明日は10万株・・・・◆◆
◆◆
いったい誰が売ったのか?◆◆
◆◆
永遠の謎です。◆◆
| 許永中と石原産業手形詐欺事件 (前編) |
そのころ石原産業は、骨肉の争いの後遺症に悩んでいました。権力闘争の末、石橋浩会長は、異母兄弟の石橋克規をグループ企業の若槻建設から追放することに成功します。
しかし、克規は、石橋産業の株を24万2650株(他の反対派をあわせると約30%)も保有していました。浩は、わずか12万株しか保有していません。 このままでは、何時クーデターを起こされ寝首を掻かれるか分かりません。
許永中は、この株を買い戻せるという話で、最初に石橋産業に近づいてきたのです。
喉から手が出るほど欲しい株です。
許永中は、買戻しの条件として、自らが保有する新井組の株を買い取るよう条件を出します。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、許永中と石橋産業は、固い絆で団結しようと誓います。|
1996年4月、許永中は、スーツケース三個に入った10億円の現金を石橋産業に差出します。 この裏金で、許永中の指示に従い政治家に献金して、受注獲得に役立てて欲しいというわけです。 この効果は、抜群でした。今まで、疑っていた幹部も許永中を信頼するようになります。 |
5月、中尾栄一建設相の就任祝いの席に、石橋会長は出席します。
許永中の取り計らいでした。この頃から、延べ8000万円にのぼる中尾氏への政治献金が始まります。
・・・・・・・・・・・・・・・
許永中は、キョート・ファイナンスに対して470億円の借金があり、1120万株の新井組株が担保として提供されていました。
石橋産業の関連会社とキョート・ファイナンスとの間で1996年9月、新井組株985万株について約179億円で売却する契約が締結されます。 一株当たり1817円でした。
石橋産業は、許永中に180億円の手形を差し出します。契約は形式で、手形は絶対に回さないという約束でした。
許永中は、フィクサーなどではなく、天才的な、単なる詐欺師だそうです。
もちろん、肝心の新井組の株は、なかなか渡してもらえません。
株価も買値以上になるように維持するとの約束でした。 許永中と石橋産業による、新井組の仕手相場が始まります。
この頃、若槻建設(石橋産業の関連会社)と新井組との合併の噂が兜町で広まります。
新井組の社長が否定しても、株価は値下がりしません。
◆◆1996年12月、新井組の株価は2000円を超えます。◆◆
◆◆
そして、詐欺師が牙をむく日がやってきます。◆◆
(参考) 闇の帝王(許永中) 宝島社
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